ミリオンセラーの赤血球新生促進因子製剤に今何が起こっているか
2010-03-11
(キーワード: エリスロポエチン、エポエチン、ダルベポエチン、赤血球新生促進因子、慢性腎症、貧血)
貧血で苦しむ慢性腎症の患者に光を与える治療薬として遺伝子組み換え型の人工エリスロポエチンが米国で認可されたのは1989年である(訳註1)。エリスロポエチンは腎臓で合成されるタンパク質で、骨髄幹細胞が赤血球へと分化する過程に作用するので、赤血球新生促進因子とよばれる。慢性腎症ではこのタンパク質の合成が低下し貧血になると考えられる。人工エリスロポエチン(以下、エポ製剤)はバイオテクノロジーの大きな成果として喧伝されてきたが、今その評価が大きくゆらいでいる(訳註2)。米国FDA(食品医薬品庁)医薬品評価センターのE.F.Ungerらは、主要な3つの臨床試験をとりあげ「赤血球新生促進因子製剤は再評価の時である」と題して寄稿している(NEJM誌2010年1月21日号※1)。貧血に伴うリスクやその予後を改善するという信頼すべきデータが無いばかりではなく、血栓性の障害を起こさせてしまう傾向があるという。以下に要約し紹介する。 ………………………………………………………………………………
エポ製剤を使用する場合に赤血球(ヘモグロビン濃度)レベルの目標値をより高く設定すれば、臨床状況を改善することができるとの仮定のもとに臨床試験が行われて来たが、残念ながら、しかも予期しなかったことだが、すべての結果は逆に見える。
1998年に報告されたNHS試験は、1233人が参加した試験だが、14ケ月の追跡後、中間分析の結果有害性の傾向が出たために中止となった(訳註3、※3)。
2006年に報告されたCHOIR試験は、1432人が参加したが、平均16ケ月の追跡後、中間分析の後に中止となった(訳註4、※4)。
これらの二つの試験結果についての解釈は必ずしもすっきりとはいかないが、最もはっきり言える一つのことは、ヘモグロビンの高濃度は心血管リスクを増加させるということである。もう一つの解釈は、FDAにおける我々の積年の不安でもあるが、心血管イベントのリスクはヘモグロビン濃度の上昇速度に関係があるということである。積極的な多量投与によってヘモグロビン濃度の変動やオーバーシュートが起こり、血液流動力学的な変化がリスクを高めてしまうということである。ダルベポエチンαの承認審査の際に、2週間で1g/dlを超えるヘモグロビン濃度の増加は心血管および血栓塞栓症イベントと相関性があることが明らかになっている。第三の解釈は、心血管イベントはヘモグロビン濃度と無関係であり、エポ製剤の他の作用によるものであるという可能性である。我々はその一つとして、エポ製剤はガンの進行を速め、ある種のガン患者の生存を短くすることを見い出している。
2009年11月に報告されたTREAT試験は、アムジェン社のダルベポエチンαの臨床試験である。この試験に先立って、アムジェン社から試験計画について打診を受けたFDAは次の条件を付けて、満たされれば試験を許可するとした。すなわち、赤血球目標値13g/dlは高すぎるので従来の目標値(10-12g/dl)に戻すこと、ヘモグロビン濃度の振幅、目標超過や急上昇を防ぐことが出来るモニターシステムを開発すること、独立の委員によるデータおよび安全性の監視があること、である。これらの方策にもかかわらず、4038人が参加しプラセボを対照として29ケ月の追跡を行ったTREAT試験の結果は、エポ製剤を使用することの有益性の証拠がなかったばかりでなく、ダルベポエチンα群で全体的に有害の傾向があった(訳註5、※5)。
上記三つの試験では、患者報告とQOL(生活の質)指標を用いて、ヘモグロビン濃度を上げることで得られる臨床上の利益を評価している(訳註6)。ここから明らかになったのは、死亡あるいは死亡に至らない心筋梗塞や脳卒中のリスクを上回る程の一定したQOLの改善があるという確実な証拠がないことである。
この三つの試験が示したのは、エポ製剤の目標としたヘモグロビン値、14g/dl、13.5g/dl、13g/dlが危険であるということである。しかし、ヘモグロビンを適度に増加させることが有益性をもたらしうるという可能性を排除してはならない。今後なすべき事は、適当な目標ヘモグロビン値の設定とその達成に必要な投与計画及びモニター法の評価、それらによって心血管イベントを予防することができることを示すことである。 …………………………………………………………………………
日本の状況であるが、ダルベポエチンα(商品名ネスプ注射: 協和発酵キリンKK)の添付文書には、「重要な基本的注意」の項に目標値として「ヘモグロビン濃度で12g/dLを目安とする」とあり、ここで指摘されている濃度より低値ではある。しかし厚生労働省の副作用報告をみると心臓や脳血管障害の報告が際立っている(訳註7)。投与速度やモニター法も含めて、著者の指摘のように血液流動力学的な観点からの検討は早急に行う必要がある。また、第3の解釈に関してエリスロポエチンはサイトカインの一種であり骨髄幹細胞への作用だけでなく別の作用を持つことは予想されることである。(S.T)
訳註1) *米国アムジェン社は世界に先駆けて遺伝子組み換え型エポエチンαの認可を受け、また2001年にはエポエチンαのアミノ酸を修飾し体内貯留時間がおよそ3倍になったダルベポエチンαの認可を受けた。日本には以下の3製品がある。エポエチンα(エスポー注射:協和発酵キリンKK):1996年認可、適応は透析中の腎性貧血、透析前の腎性貧血、手術の貯血用、未熟児貧血。エポエチンβ(エポジン注射: 中外製薬):2001年認可、適応は透析中の腎性貧血、透析前の腎性貧血、手術の貯血用、未熟児貧血。ダルベポエチンα(ネスプ注射:協和発酵キリンKK):2007年認可、適応は透析中の腎性貧血のみ。
*赤血球レベルの正常範囲は、男で13-18g/dl、女で12.5-16g/dl(「オックスフォード・生理学」より、ヘマトクリット値をヘモグロビン濃度に変換)。
訳註2) 初期の観察的研究で透析を受けている重篤な患者に人工エリスロポエチンを使用した時、輸血の必要性が減った事とQOLの評価が改善したことから、エポ製剤の有益性は大きいとの見込みがあまりにも広く行き渡ってしまい、臨床試験ではプラセボは不必要でありむしろ非倫理的であるとさえ言われた(NEJM誌2009Nov19、※6)。
訳注3) ヘモグロビン目標値を、14±1g/dlと10±1g/dlの2群間で比較。
訳註4) ヘモグロビン目標値を、13.5g/dlと11.3g/dlの2群間で比較。
訳註5) プラセボ群(9g/dl以下になったらダルベポエチンを投与)とヘモグロビン目標値13g/dlの2群間で比較。
訳註6) NHS試験では、SF36とよばれる身体機能スコアでは改善を示したが、他の7つの評価では改善がなかった。CHOIR試験では、SF36身体機能スコアの改善はなかった。TREAT試験では、SF36に基づいたQOLの改善はなかったが、FACT(ガン治療機能評価)に使われる疲労度スコアでは改善があった。
訳註7) 2007年度の心臓と脳血管関連の副作用報告数は36例(※2): 急性心筋梗塞 2狭心症 1うっ血性心不全 1高血圧性心疾患 1心室性頻脈 1 脳幹出血 2脳幹梗塞 1小脳出血 2小脳梗塞 2脳出血 10脳梗塞 6出血性脳梗塞 1 高血圧性脳症 2回復性虚血性神経脱落症候 1視床出血 1被殻出血 1血栓性脳梗塞 1