No.66 (2021-03-01)
2020年1月上旬、厚生労働省から薬剤師会を通じて、新型コロナウイルス感染症のワクチン接種に関するお知らせが薬局に届いた。コロナワクチンを2月下旬から医療従事者への接種を始めるにあたり、接種人数の把握をするため希望者の人数を報告してとのことである。
「ええ、もう来てしまったの」という気持ちと、「とうとう来てしまった」という気持ちが同時に「来てしまった」のである。「もう来てしまった」は、このワクチンに関してあまりにも知識不足であるためだ。2020年秋から、コロナワクチンの情報は 一 気に多くなった。今まで人への使用は未経験の核酸(RNA)ワクチンであること、通常5〜10年かかるワクチン開発だがこのワクチンはわずか1年で治験段階まで来ていること、その治験での有効率95%(有効率が95%は100人中95人に効いたということではない※)、などということは知り得たが、安全性に関しては、ほとんどわかっていない状況だ。「能力不足でわからない」だけでない、急速に世に出そうとしたために「物質としてまだわかっていない」が多過ぎる。努力義務と言うけれど、この状況(情報)で無謀な努力を強いることにはならないのだろうか。打たない決定をしたことでペナルティを課すことはないようにというが、世間の判断を無視することは実際できないだろう。しかし、そのような状況で、コロナワクチンを打つのか打たないのか、いつかはこの「決定」をしなければならない時がくる。覚悟していたが「とうとう来てしまった、その時が」である。
さて、報告をしないといけないので、人数把握の際に、可能な範囲で「決定」の理由を聞いてみた。「薬局としては打っておいた方が良いのですよね」「希望しないと打てないのなら希望しておきます」「安全性がわからないので時間が欲しいです」「拒否すれば個人や薬局にペナルティとかデメリットが実際は生じませんかね」「どうしたら打たなくて良い?」「安全性の情報がほとんど入ってこないので心配です」「何故、医療従事者が先なのか?」。ごく少人数の話かもしれないが、こころのわだかまりや不安は同じだなと感じた。
有効性および安全性は接種可否の判断に必要不可欠で、情報不足による不安は判断を鈍らせるようだ。さらに、自己決定に会社や組織が干渉するのではないか、また、会社や組織が社会的な批判を受けるかもしれない、というのも判断要素に根強くあることが感じられた。自己決定の尊重とはいえ、社会的な反応を気遣わないわけにはいかないのが現実だ。
有効性と安全性のバランス、そして安全性のフォローがどうあるべきか、自己決定の真の尊重とは何か、コロナワクチンを機会に考えるべきことと感じた。
追記 2021年2月17日より医療従事者への接種が開始されている。
※ 有効率95%の解説;ファイザービオンテックのワクチンの臨床試験でワクチン接種群、非接種群各2万人弱で、発症例数が接種群は8人に対し非接種群は162人なので、接種群は非接種群4.9%の発症率だった。つまり発症を95%抑えたということ。