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 科学の発達を支えるものは、個々の研究者が営む日々の研究活動だが、けっしてそれだけで成し遂げられるわけではない。研究成果は論文として発表され、同 一 分野の、あるいは、関連分野の多数の専門家の批判を受けることによって、はじめてその真価が明らかにされ、新しい知見の上に別の研究が積み重ねられて、次の進歩が生まれる。科学の進歩とは、こうしたプロセスの繰り返しにほかならないのだが、それを妨げる要因のひとつが秘密主義である。特に薬の分野では、開発企業が研究のスポンサーになるため、情報の公表が少しでも自分たちの利益にならないと判断されれば、すべてが秘密に被われることになる。積極的に隠さないまでも、ネガティブデータは論文として発表されないことが多いから、開発商品に有利な情報のみが人々の目に触れることになり、真の評価を誤らせる。動物実験、臨床試験を通じて得られた知見は、ヒトの健康や生命に直接かかわる事柄であり、人類全体に帰属すべき貴重な知的財産である。たとえ開発企業の立場を考慮したとしても、絶対的な情報独占を許すべきではない。

 このような問題にこたえるひとつの試みとして、英国のオックスフォードにコクラン・センターがオープンしたのは、1992年のことだった。そこでは、治療に関するさまざまな無作為比較試験(RCT)を総合的・系統的にレビュー(systematicreview)し、それぞれの治療法が現時点でどのように位置付けられるかを客観的に判断するための情報を提供することがその主な業務であった。このような機能の重要性は、英国以外の国々でも認識され、各地にコクラン・センターが生まれ、互いに協力して、Cochrane Collaboration (CC)と呼ばれる国際ネットワークが出来上がった。EBM(科学的根拠に基づく医療)を語る上でも、コクラン・レビューは欠かすことのできない情報となり、各臨床分野のガイドライン作りにも重要な役割を果たしてきた。CCは多くの人々の善意と協力に支えられて、目覚ましい発展を遂げたのだが、コクラン・センターの事実上の創設者であるIain Chalmersが2003年にCCを去ったあたりから、少しずつ状況が変わり始めた。EBMの本質は、いま自分たちが持ち合わせている知識や方法の限界を知り、だからこそ少しでも確かな真実(エビデンス)に近づくためにはどうすれば良いかを模索する試みであった筈なのだが、その基本姿勢が忘れられ、systematic reviewそのものが形式的な手続きになり、統計学が自らの主張を裏付けるための単なる数式に変わってしまった。コクランのメンバー同士が対等な立場で自由に提言や議論のできる雰囲気も失われてしまったのである。

 このような変化を誰よりも厳しく批判していたのはノルディック・コクランの代表を務めているPeter Gøtzche教授だったから、これを沈黙させるためには彼を組織から追放するしかなかったのであろう。その罪状は、コクランの名を汚したということらしいが、このような決定自体がコクランの名前に相応しくないことは、次の時代が明らかにしてくれるに違いない。

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