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■ 薬害サリドマイド事件

 サリドマイド訴訟は、1974年10月13日に東京地裁で製薬会社および国との和解を受け入れ、他7地裁でも順次和解確認書に調印がされ、11年も続いた裁判が終わり薬害事件は収束へと向かいはじめた。

 被害発生から60年が過ぎようとする今、胎児だった被害者の平均年齢は55歳を超え、加齢による体力の低下や本人/家族、支援者の高齢化などで、努力で手に入れた自立生活の維持さえ困難になっている。近年、健康面の研究が行われるようになり、身体を酷使してきた2次障害だけでなく、新たに血管や骨格、内臓の異常が指摘され、体の不調や生きにくさを訴える、被害者の声を裏付けるものになった。振り返れば私たちの軌跡は、筆舌に尽くし難い苦しみを味わい、想定を超えた被害に慄き、人生で何を失ったのか知る道でもあった。いや、未だ私たちは被害の真只中にいるのだろう。

■ 私たちは救済されたのか

 2014年、私たちの和解40周年式典に出席した薬害大阪HIV原告団長の花井さんは、「国や製薬会社は、サリドマイド被害者が生き抜いてくれたことに、ありがとうと感謝すべきだ」とwitな挨拶をしていた。

 100人以上の被害者が集った会場は、静かに彼の言葉に耳を傾ける。確かに私たちの頑張りは、加害者の幸福に寄与したに違いない。

 私たちは旅の終わりを考える年代になり、これまでの出来事について考える機会も増えた。私たちは誰もが少なからずの事情を抱えていたとして、前を向いて歩くために被害を受け入れてきた。

 雨天に傘がさせなくとも、やりたい職業に就けなくても、命あることに感謝してきた。医療や支援の手が私たちを育て、私たちの強く逞しく煌めく心はもう涙を流さない。力強く大地を蹴って走ろうとする姿があるだけだ。それでも私たちは天を仰ぎ自問自答せずにはいられない。私たちは生きて良かったのか、幸せになったのか。誰が薬害をあがなったのか。

■ 繰り返す薬害事件

 治療は、元々患者の犠牲を強いて発展を遂げる。その瞬間の最善を尽くすことが治療には求められる。患者を病から救うという責任を負うから、薬が副作用というリスクを回避できなくても、患者に投与することが許される。しかし、薬害は不十分な対応が副作用被害を薬害という名の人災に押し上げる。私たちが訝るのは、薬は利益を追及する民間企業の商品であり、国の承認を受けた薬はすべて莫大な費用を回収するという宿命を負っている。扱う薬に副作用が疑われ「回収しなくてよい理由」を必死に探し続ける、この対応に待ったをかけられないというなら、この国の正義は何処にあるというのだろうか。

 被害者が払う犠牲に見合うものを加害者は払わずにいる。該当企業が常に求める「科学的根拠の積み上げ」は、「深刻な薬害被害の蓄積」と同意語なのだ。

 薬害が繰り返される理由は多々あるが、結局のところ薬害被害は国や製薬会社だけでなく、医療に関わる者すべての人が真摯に被害に向き合わない限り終わらない、社会は薬害サリドマイド事件以降も続く、薬害被害に遭うという理不尽を超えられない。

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