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 私は、「薬害の原因はクスリだと思っていませんか?」という言葉が、とても大切な問いかけだと感じています。
 これは、全国薬害被害者団体連絡協議会のスローガンの一つですが、薬害の原因が薬ではないというならば、それは一体どういう意味でしょうか?
 薬には必ず副作用があります。さらに、体質や状況、感受性の違いなどによって、副作用にも大きな個人差があります。サリドマイドはある時期の妊婦は服用してはいけない薬でした。陣痛促進剤は感受性の個人差が200倍以上もあるとされていて、一部の妊婦には子宮破裂を起こすくらいの強過ぎる陣痛が来てしまいます。また、ソリブジンのように飲み合わせによって重篤な被害が出てしまう薬もあります。
 副作用の方が主作用よりも強く影響して、患者の健康をより損なうならば、それは薬というよりも毒と呼ぶべきでしょう。しかし、たとえ薬が毒だったとしても、それだけでは薬害ではありません。
 では、薬害とは何でしょうか? 体質や状況によって服用すべきではない患者がいることや、その薬の品質にとんでもない問題があることを、開発や審査や認可の過程などで気付いていたにもかかわらず、または、重篤な被害が発生していることに気付いていたにもかかわらず、速やかに被害防止に向けた適切な努力をしないどころか、改ざんや隠蔽などでその事実をごまかそうとして被害が拡大してしまうこと、それが薬害です。
 それは、産・官・学のどこか一つでも、当然持ち合わせておくべき職業的良心や学問的良心に沿って仕事をしていれば、被害の拡大を防ぐことができたはずの「人災」なのです。
 また、事実をごまかそうとする結果、産官学による偏見の流布などの情報操作が伴うのも、薬害の特徴です。
 その定義に従えば、例えば、ソリブジン事件は、薬害事件の要素もありながら、より大きな薬害事件になるのを未然に防いだ例、ということもいえるかもしれません。
  一方で、陣痛促進剤被害は、産官学のそれぞれが(個人レベルでの被害防止の努力があったとしても、全体としては)本気で再発防止に努めず、事実をごまかそうとする意識が優先して被害が繰り返されてきたことから、薬害と呼ぶべきものです。
 陣痛促進剤被害では、関連の学会等は、遅くとも1974年の時点で、感受性の個人差が大きいために、「最大使用量を半分以下にする」「筋肉注射を不可にする」などの添付文書の改訂の必要を認識してガイドライン等を配布していたにもかかわらず、外向けにはその事実を公表しなかったために、実際に改訂されたのは18年後の1992年に、被害者団体がそのことを厚生労働省に指摘した以降でした。さらに、そのときの添付文書の大幅改訂の際にも、「まだまだ不十分だ」と被害者団体が指摘した「帝王切開や子宮切開術既往歴のある患者への慎重投与」「精密持続点滴装置を用いてごく少量から投与すること」「必要性及び危険性を十分説明し同意を得てから使用すること」などの項目の記載は、2010年まで、さらに18年間も改訂が遅れ被害が拡大しました。その上、海外の添付文書では記載されている脳内出血や胎盤早期剥離を、いまだに副作用として認めないなど、産官学の故意の不作為が現在も続いている状況です。
 取り返しのつかない被害を受けてしまった本人や遺族には、その苦しみや悲しみを生かす方法は一つしかありません。それは、同じような被害を繰り返さないようにすることです。
 今年(2011年)の5月始め頃、全国の中学3年生に「薬害ってなんだろう?」というタイトルの教材パンフレットが配布されました。この教材が作られるきっかけは、多くの被害者たちの「子どもたちを将来、薬害の被害者にも加害者にもしたくない」という思いでした。
 しかし行政は、被害者団体が求めた、この冊子の表紙にサリドマイド被害者の写真を入れることを拒むばかりか、多くの字句修正を迫り、しかも、配布された教材がどのように活用されているかの調査をする姿勢もありません。
 人が薬害を引き起こすときには、情報操作や隠蔽や改ざんなどが必ずあります。だから、薬害防止には情報公開が不可欠で、情報公開の究極は「健全な教育」です。
 教材は、厚生労働省のホームページからもダウンロードでき、来年度も全国の中学3年生に配布される予定です。この教材をどのように改善し、どのように生かして、子どもたちに「薬害」を伝えていくべきなのか、私たちは真剣に考えて取り組む必要があります。

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