No.37 (2011-07-01)
3月11日の東日本大震災当日、私は肝炎治療と新薬の治験を受けるため、病院に入院していました。地震の瞬間、私はMRI検査の真っ最中で、突然の大きな揺れに何が起きたのか分からず、家族や自宅に残してきたペット達の安否、さらに治験の先行きも含め大きな不安を感じていました。幸い、家族もペットも無事で、一週間の入院期間の間、ベッドの上で、薬害肝炎検証・再発防止委員会(以下、「検証委員会」)の最終提言の復習をしながら、東日本大震災の惨状をテレビ等で見て心を痛めていました。被災地の方々のために何かできないかと思っている最中、主人から友人で福島県職員でもあるAさんを紹介され、Aさんからの被災地の生の声を聞き、その生の声を薬害肝炎の活動で知り合えた医師や政治家、官僚の方々に届け続けました。
しかし、震災とそれに伴う津波による被害からの復興は、原子力発電所の事故の影響とお粗末な政治家の不作為により、遅々として進んでいないようで、その実態を直接見るため、5月、主人と二人で福島県相馬市を訪ねました。Aさんに案内されて見た相馬市や南相馬市等の被災地の被害の甚大さは、私の想像を大きく超えていました。原形を留めない家々や駅舎、消滅した集落、打ち上げられた漁船、そして放射能汚染によりゴーストタウン化した集落、テレビで放送される光景はほんの一部であり、何と表現していいのか言葉が見つかりませんでした。相馬市が主催した山間の集落での放射能の説明会では小さなお子さんを持ったお母さんが、「将来、○○町出身と言うだけで、この子はお嫁にいけないのではないか?」との質問も出ました。薬害と同じ人災である放射能汚染に伴う新たな差別の発生に恐怖と共通点を感じさせられました。
今回の震災では、現在のところ、死者・行方不明者合わせて2万3千人を超える貴い命が奪われています。一方、薬害肝炎によって人命を奪われ、人生を狂わされた被害者の数も震災の被害者に匹敵するであろうし、過去の薬害全体をいえば、もう気の遠くなるような人間の命と人生が損なわれてきました。
今回の震災は、地震列島である日本に住む日本人にとって、地震や津波が他人事ではないということを改めて知らせたのではないかと思います。私が受けた薬害も、他人事ではないはずです。生まれてきて一度も病院に行ったことがない、薬を飲んだことがない、注射を受けたことがないという人は誰もいません。いつ自分が被害者になるかも分かりません。薬害も地震や津波も人々にとって、とても身近な問題であることは明らかです。
私は、薬害肝炎の裁判が終わったら何もかも終わると思っていました。しかし、検証委員会やその研究班に参加することにより、薬害を引き起こす産官学と医療者のもたれあいと、原子力の安全神話に匹敵するエビデンスの無い思い込みが被害の拡大に繋がってきたということを痛感させられました。
今回の福島第一原子力発電所の事故は、最悪の事態を想定することすら許さない「安全神話」の盲点を衝かれたものであり、厳しい事故への対応と並行しての情報公開の重要性を明らかにしたといえます。
薬害も全く同じです。最悪の事態を想定するという予防原則に徹し、徹底的な情報公開こそが、薬害をなくす近道であると確信しています。
今、私は、検証委員会の最終提言を受けて設けられた厚生労働省の厚生科学審議会医薬品等制度改正検討部会の委員として、二度と薬害を引き起こさせないために、提言の心を反映した薬事法の改正等に取り組んでいます。
また、この部会と並行して、第三者監視・評価組織の実現に向けた検討も始まる予定です。
薬害被害者である私達の願いであり、オンブズパースン会議の目標である「薬害防止」を達成するための準備の最終段階を、今まさに迎えようとしています。皆様方や薬事行政にかかわる専門家と薬害被害者、その予備軍である一般市民の架け橋として、微力ですが活動を続けていきたいと思いますので、これまで同様にお力添えをお願いします。