No.7 (2000-01-01)
マイリスはプラステロン硫酸ナトリウム(またはデヒドロエピアンドロステロンサルフェイト、DHA-Sと略)を成分とする静注用注射剤または坐剤である。注射剤は1980年の承認(坐剤承認は1997年)以来、産科臨床の場で20年近く使われてきており、子宮頚管熟化促進剤として用いられている。現在、日本における全産婦数は年間約120万人、うち初産婦はその約半数の60万人。マイリスは主に初産婦の3分の1の約20万人に投与されていると推定されている。IMS医療統計(処方箋調査)によればマイリスの年間売上高は約26億円である。
今年9月12日付毎日新聞に「胎児への影響懸念」という見出しで、2つの市民団体がマイリスの安全性の再検討を求めて厚生省と交渉していることが紹介された。両団体は、DHA-Sは体内に投与されたのち一部はエストロゲンという女性ホルモンに変換されるため、女性ホルモン剤としての胎児への影響が問題となること、またマイリスの臨床的有効性は実証されていないということ等を問題提起している。これに対してマイリス製造元の日本オルガノンは「マイリスは医師が熟化不全と判断した患者に限って使用している。熟化が進んでいる女性には使っていない」とコメントしている。本当にそうであろうか?
マイリス注及び坐剤の添付文書の効能・効果には「妊娠末期子宮頚管熟化(子宮口開大不全、頚部展退不全、頚部軟化不全)における熟化の促進」とある両製剤の治験論文をみると、注射剤の場合は妊娠38週0-4日のBishop score 4点 以下の初産婦、坐剤では妊娠37週0-2日のBishop score 2点以下の初産婦をそれぞれ投与対象として治験を行っている。
Bishop score とは子宮頚管熟化度を評価する方法として日常臨床で汎用されている内診用のスコアリングシステムである。産科医が内診により、子宮頚管が何cm開大しているか、また子宮頚部の硬度はどうか等の5項目について点数をつけ、その合計点数をBishop score点数とするものである。
さて、マイルスの適応症にある子宮頚管熟化不全とはどのような状態をさすのか、薬物投与で人工的に熟化を促進することは妊婦にどのような利益をもたらすのか、熟化を促進しなければどのような問題が生じるのか、これらの点を検討してみるとき、ひとつ興味深いデータがある。妊娠週数別に各Bishop score点数の妊婦がそれぞれどれくらいの割合で存在するかをみたデータである。それによると、坐剤治験時の投与対象であった妊娠37週Bishop score点数2点以下という症例は全初産婦の約45%をしめ、注射剤治験での投与対象、妊娠38週Bishop score4点以下という症例は全初産婦の約60%をしめていた。つまり、マイリス注・坐剤の投与対象基準によれば、初産婦の約半数は頚管熟化不全ということになり、その結果マイリスの投与対象となり得るということになる。しかし、妊娠末期から分娩までの自然経過における頚管熟化は、個人差はあるものの、妊娠39週以降に急激に進行し分娩に至るというのが一般的である。このことから考えると、妊娠37-8週においてBishop score2または4点以下の症例を熟化不全とし人工的熟化促進を行う必要性はどこにあるのだろうか? 妊娠37週時点でのBishop score2点以下と3点以下の2群を比較すると、2点以下の群で分娩時間が延長し、帝切率が高くなるというデータもあるが、マイリス治験論文では、妊婦、胎児、新生児への最終的アウトカムとしてはプラセボとの間に統計的有意差は出ていない。むしろ胎児切迫仮死はマイリス投与群の方が多く、安全性を危惧させるデータが示されている。
マイリスという薬は日本のみで使用されているいわゆるローカルドラッグである。一方欧米において子宮頚管熟化促進の目的で行われる薬物療法は、過期産時の処置として分娩誘発目的もかねた、プロスタグランジン製剤の投与である。
以上、マイリスの臨床適用はその有用性において疑問を抱かざるを得ない。またマイリスは、女性ホルモン剤の妊娠末期投与という意味においては、胎児の中枢神経系等への影響について長期追跡調査が必要となるものである。マイリスが初産婦の3分の1近くに広く投与されているという現状はその有効性・安全性の面から、改めて見直されなければならない。